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松本文六理事長の一言

21世紀医療へのプレリュード 医者と患者の関係論 -医療政策も含めて -

                      医療法人財団 天心堂  理事長 松本文六

 

 

1."患者さん"と"患者様"

 最近、病院関係雑誌などで、"患者様"という言葉がしばしば眼にはいってくる。いくつかの有名病院で、"患者様"という三文字が結構使われているが、私にこの"患者様"という響きはどうもしっくりせず、そのまま受け容れる気にはどうしてもなれない。

 "患者様"という言葉を聞くと反射的に《お客様は神様!》というキャッチフレーズが浮かんで来る。確か、このキャッチフレーズは松下幸之助氏の発明であったと記憶する。

 高品質な商品を作り出し、かつ商品として大量に売り出し、儲けを大きくするには、最高なスローガンである。確かに、商品を創り出すのにこのスローガンが社是として掲げられているとすれば、社員は、とりわけその研究所は最初の考案・検討段階で消費者のニーズを常に念頭に置かざるを得ない。その場合の商品は全く同一の規格品であり、大量生産の可能なものである。

 電化製品や自動車などは、このような理念で作られ成功している。しかし、医療の対象は人間であり、機械ではない。従って、医療においては、対象となる患者の病名がたとえ同じであっても、同一規格の治療や手技を患者が100人いればその50人に適用することさえ困難である。又、医療提供側の職種は多種多様であり、単純作業ではなく、医療受給側の患者の個体差や個別性に合わせて百人百様の治療や手技の提供が求められている。この点が、機械を大量に制作する場合と医療とでは決定的に異なる。又、機械はいつでも制作を開始できるが、医療は発症を予測できない受給者が突如出現して初めて動き出す。しかも、インフルエンザという形の流行であっても、患者一人一人の症例は類似しているとしても患者さん一人一人の固有の免疫力によってその症状は千差万別であり、治療は個別に対応せざるを得ない。いわば、医療は常にレディメイドでなくオーダーメイドのものを提供することが求められている。

 そのような差を考えると、どうしても"患者様"という言葉には抵抗感がある。確かに、医療提供側は他人の不幸を種に生活の糧を得ながら常にお礼を言われるのであるから、商売におけるお客様のように丁重に処遇すべきであるということも事実である。しかし、救急の現場では、救命のために患者さんを荒っぽく扱わざるを得ないことがしばしばある。救急車で搬送された直後、家族の方は外でお待ち下さいと、家族を救急室から追い出し、時には普段は商品価値の高い衣服をさっと鋏で切り裂くことさえある。このような悲惨な救急現場では"患者様"という言葉は極めて場違いである。

 だから、私は"患者様"という言葉は嫌なのである。私たち医療人は、商品を扱うのではなく、人間を対象とする。医療という現場で求められる最大のものは良質な医療を提供することである。この良質なものを提供するに当っては、対象である患者さんより本音のところを最大もらさず聞き出すとともに患者さんより自らの不具合を医療者にきちんと伝えてもらうことである。この時には、医療提供者と医療受給者は玄人と素人という差があっても、人間的には全くの対等であるという原則は決して譲れないものである。

 だから、私は、たとえ時代が変わろうとも、医者と患者の関係においては、現実的・実際的にも"患者様"でなく"患者さん"という言葉を使いたい。"患者様"という言葉を使うことにより、医師と患者の間にスダレをかけかねない風潮をかもし出すことは、両者にとっては極めて不幸なことだと考える。

 

2.医者と患者の様々な会話から滲み出る本音

 医者と患者の関係は、時代と社会と経済のうねりの中で、様々に変容する。医者が極めて少ない時代にあっては、《この先生にすがるしかない》《ここの施設にすがるしかない》という言葉に表現されるように、生・病・老・死は選ぶ対象でなく、宿命でしかなかった。このような時期は、国民皆保険制度の施行以前の時代であり、医者と患者の関係は当然ながら80年代以後の医者の大量輩出時代以後とは極端に異なる。従って、ここでは、私がそれなりに医者という職業を私自身の生業としてもいいかなというレベルに達して以後(一応卒後10年-1980年後とする)の20年間のささやかな経験の中で感じている医者と患者の関係を論じることとする。

 医者と患者の関係で最も大事なことは信頼関係である。何によってその信頼関係ができ、何によってそれがそこなわれるのか、以下に述べたい。医者と患者の関係は、極めて多種多様であり、模式化したり分類したりすることは困難である。そのため、以下のいくつかの例示は、エッセイ風にしかならないことを寛恕願いたい。

(1) 医者と患者が対等に本音の話せたほんの短い一時代

 1973(昭48)年、70才以上の老人の医療費が無料となった時代、確か私が医者となって2年目頃のある日、内科の先輩が言っていたことを想い出す。私に向かって『文ちゃん、老人はいいねえ。嫌味がなくてお互い言いたいことが言えて。しかし、若い人と話すと生臭くてあんまり楽しくないね。僕が開業する時には老人だけを相手にしたいね。』と。この先輩医師の言っていたことを今の時点で想い返すと、医者と患者が本音で語りあえたということであろう。その頃の老人は、壮年期に敗戦を迎え、必死で生きて来、一時は食に窮し、生活に窮し、医療費に窮して生き抜いて来たために、過去と比べると今は"幸せ"であり、神様・仏様・天神様に感謝する気持ちが、医者に難題をふりかけることなく、宿命として受け入れていた生・老・病・死が、そうではなくなって来そうだという希望があったが故に医者も患者もお互い言いたいことを言えたのではなかろうか? そこには、患者の懐具合を考えずに自らの医療を実践でき、医者として生きることの喜びが医者にあったことは間違いない。まさにこの時代の老人である患者と医者は、お互いの立場を理解し尊重しえたが故に極めて対等であったに相違ない。

(2) 医者を敵視した時代の医者・患者関係

 このような時代に3040才の人は1935(昭10)~1945(昭20)生まれで、少年時代や青春時代を厳しい生活環境で育ち、生活を豊かにしたいために必死にもがいていた世代だから"生臭"かったのだと想われる。医者の給与と自らの給与を比較すると相性の悪い医者に対し、若い世代は嫌味の一つでも言いたくなったのかもしれない。

 この頃開催されたとある県の労働組合主催のあるシンポジウムで、私は諸にこう言われたことがある。《医者は儲けすぎるのではないか?》と。日本の医療レベルや質的内容を批判されれば答えようもあったが、口調に何となく棘があり、私は反射的に《医師の平均寿命(当時の)は他の職業の人に比べると10年短いと言われています。私は献身的な医者の給料はもっと高くても良いと考えています。》と答えてしまった。今考えても、レベルのよくないシンポジウムだと思っている。当時の労働組合が消費者や市民の医療や生活を顧みることなく、未組織労働者の生活向上には殆ど目を向けずひたすら自らの賃金だけを上げようとしていた体質が諸に表に出た発言であり、他者への想いやりのない労働組合幹部の内実がその後の労働運動の衰退を余儀なくされた歴史的事実を象徴するようなシンポジウムであった。

 このような世代の医者と患者の関係はあまり良くなかった。患者サイドが先入観と偏見で医者を観ていたのであるから。このような時代とこのような世代の患者は医者との距離を自ら遠くしていたのではなかったのか? 現に、当時、一部の人々は医者を敵視していたことも事実であった。

(3) 経済的に余裕のある患者と医者の関係

 経済的に余裕のある患者や社会的地位のある患者は同級生の医者にまず相談し、医療機関を選択する。しかも、同級生が推薦した医者や医療機関なので、医者にまず注文をつけない。しかし、時に看護婦や事務員の対応が悪いとその態度は豹変し、大声で怒鳴り出す患者が中にはいる。そこにおける医者は他方でそのような患者の心の裏も含めて診るので比較的いい関係を保てる。

 又、この種の患者は、同級生のすすめであちこちの医者にかかり、医者を選択していることも事実で、現代医学の限界を感じ出すと、共に悩み少しでも患者の苦痛を取り除こうと努力める医者をかかりつけ医として最終的に選ぶことができる。

(4) 経済的に余裕のない患者と医者の関係

 以下は、一昨年薬代の一部自己負担制が導入された頃の話である。

 患者A氏(70代)曰く、《先生湿布は沢山残っているのでもういいわ、それと睡眠剤は半分に割って服んでいるので今回は出してもらわなくてもいいわ。》と。

 医者X氏は問う、《何じゃ、そんなら3ヶ月分位残っているんじゃないのか? もっと早うそんなことは言ってくれんと。》と。

 患者A氏答えて曰く、《いや、(湿布は)爺さんや息子にやるけんそんなにゃあ残っとらんわ。あと2週間位分しか残っとらんのでえ-》と。 医者X氏、《.........》

 患者B氏(60代前半)曰く、《先生、脂肪分をとるくすりなあ、あれは余っちょるけん今度はいらんわあ。血圧のくすりだけはもらっちょくけん。》

 医者Q氏曰く、《そんならコレステロールと中性脂肪がどん位下っちょるか調べてみようか。》

 患者B氏曰く、《いや、運動して食事に注意するけん今日はいいわ。》と。

 二人ともクスリの自己負担分が苦痛になり始めたので、"合理的"な理由を並べて、医者のすすめをやんわり断っている。経済的に余裕のない人で、生活保護を受けたくない、自分で何とか生活してゆきたい人はこういう形で医者に対応する。

 このような場合に医者は患者の懐具合が判り、治療方針をどうすべきかと考え込み、日本のくすりはどうしてこうも高いのかと嘆き、ゾロと呼ばれる薬に変更し、患者の負担を減すべく、薬局長に指示を出す。

 しかし、この"合理的"な理由から、医者と患者のキズナはより深くなってゆく。

(5) 初診の患者が次に訪れる場合と訪れない場合 -たかがカゼされどカゼ-

 初診の患者が一定期間後にその医療機関を受診する場合には、まず、その医者の印象が良かったことに起因する。例えば、カゼをひき、市販のくすりを服用していたがなかなか治らないと云って初めて来た患者はしばしば《だるくて仕方ない、それにノドがからからになって、...》と言う。

そのような場合は、大概市販の薬の副作用で全身倦怠感を惹き起こしているので、それはくすりの副作用ですと言い、新たな処方をすると、多くは再診しない。数ヶ月~1年後に来た同じ患者に問うと、その期間病気もせず元気だったという。Fist  Contactの時の治療が良かったから、再び来院する。そこには医療の質を通して医者と患者の関係の中でそれなりの信頼関係が生まれる。たかがカゼされどカゼである。

 しかし、そのような患者ばかりではない。たまたま発疹が出たりすると、本来その病気そのものの症状の一つとして出現したものであっても、くすりの副作用として患者は自己判断し、他の医者や医療機関を受診する。これは、最初の医者や医療機関に余程のことがない限り帰って来ない。意のままにならぬ医者-患者の関係の破綻である。

(6) 先入観をもって訪れる患者

 (3)で触れたが、医者の紹介状を持ってくる患者の場合、前医より《いい先生がいるから》と言われて来院するので比較的良い信頼関係が成立する。しかし、大病院などで、紹介状の宛名の医師がたまたま不在で、運悪く若い医師やくせのある医者と出くわす場合、不幸な事態を来すことがある。名指しの医者がキチンと後でチェックすれば、その関係は修復されるのであるが、...。

 この場合は、先入観を持って来た場合である。

 ところが、偶々本人の意志でなく、家族以外の人から運ばれてきた患者の場合、時々奇妙なことが起こり得る。小学校で熱発し、あまりにもキツそうであったので、養護の先生が当院に紹介して来た。小児科医は伝染性単核球症と正確に診断し、治療の方法も的確であったが、父親は娘かわいさに熱が下がらないのは医者の技術が未熟だから熱が下がらないと言って転院させろと偶々私が回診で病室にはいった途端に怒鳴られた。《まだ私が診てもないのにそんなことを言われても困ります。》と申しあげたが、何要因判らない。早速紹介状を認め、父親の指定する公的病院を紹介した。1年後たまたま会いたいという人がいて出かけると、そこにその父親が同席していた。話しているうちに次第に私のことがその父親も理解できたのか、あの時は申し訳ありませんでした。と言っていたが、どのような先入観を当院や私にもっていたのか未だに《?》 である。

(7) ブランド指向と紹介による患者

 大学病院や大病院を受診する患者は多くの場合、ブランドを指向し、そこでは最高の医療が受けられるという"思い"で受診するのであるから、そこでの医者-患者関係は出発点より良好である。少なくとも大きな過誤や医療事故が起こらない限り。又、紹介による患者は診療所であろうと病院であろうと、その大小に関係なく基本的にはその相互信頼度は高いというべきであろう。ところが、何らかの理由でそのような患者自身のプライドが傷つけられた場合には、その患者はそこから秘かに姿を消し、二度と受診することをしない。この種の患者の特徴である。そして、アメリカなどで高額ではあるが、それなりの良質な医療を受けた経験のある患者は、日本の医療は駄目であると主張しつづけるのもこの種の患者である。

(8)"脳死"臓器移植場面での医者-患者関係

 これは全く新しい医者と患者の信頼関係を現出させる。筆者は"脳死"移植には反対であり、そこに立ちあう局面は決してない。これまで医者-患者関係は一対一の関係であったものが、このような局面では患者2人医者数人その他関係者(コーディネーターなど数名)という関係となり、これまでの医者-患者関係論では整理がつかない。ドナーの側とレシピエントの側という形で以下整理してみたい。

 ドナー側は救命を願い見えない救急室での医者に祈るしかない。しかし、ドナーカードを持ち、臓器を提供する局面となればコーディネーターが出現し、死の受容する時間的余裕すらなく、臓器が摘出され、搬送時点で見えない医者達との関係は切れる。救命にどれだけ心血を注いだかがその関係を唯一決める目安となる。

 他方、レシピエント側は臓器が欲しいばかりなので、摘出医・移植医に対し神様・仏様・ 

キリスト様と感謝するに相違ない。恨むことなど有り得ようがない。"脳死"移植の局面での医者-患者関係は石のように冷たい機械的なものにならざるを得ないであろう。そこにおける医者の人格がどう変容してゆくのか? 筆者はそのような関係は移植に関わる医師を多分氷河のような冷たい人格に仕立てあげてゆくであろうと心底より危惧している。  

 

3.医者-患者関係をよくするためのキーワード

 以上のように、医者と患者の関係は、現実の診療局面においては多種多様で、ひとくくりにして論ずることはできない。信頼関係が持続している場合には、患者はその医者あるいは医療機関に継続して通い治療を受ける。一旦その関係が破綻すれば、患者はその医療者の前より姿を消す。その要因を確実に把握することは現実的には極めて困難である。とりわけ都市においてはそうである。

 そこで、医者と患者の関係はどうすれば良くすることができるのか、又、その信頼関係を確立させるためにはどういう手だてをとれば良いのかということについて以下論じたい。

 そのキーワードは、① 提供される医療の質及びその費用 ② アクセスの良さ ③ 良好な療養環境(提供者の人間的親身さも含む)の3つ位である。

(1) 医療の質

 提供される医療の質は何によって保障され得るのか? まずその第一は治療に当る医者、病院であれば治療チームのリーダーである医者の質である。ところが、最近世評では医者の質が低下していると言われている。私の病院では、午後の診療は殆どパートの医者に担ってもらっている。眼科、耳鼻咽喉科あるいは皮膚科の場合には、患者が最初から眼・耳・鼻・皮膚を診て欲しいと受診目的がはっきりしているので、特段に問題は発生しないが、内科系のパート医の中には、私は神経内科医なので他の病気の人は診ませんと平然と言ってのける医者がいる。いわゆる内科は、病気のくずカゴのような側面がある。怪我でもなくどこか調子悪いという場合にはこのいわゆる内科を患者は受診する。従って、First contactの医者は今後どうすべきかを患者さんに対してそれなりの指針を提供しなければならない。前述の神経内科医はこのような意味では言語道断の医者である。このような傾向は、何も私の経験だけではない。大学の友人や100300床の病院の友人からもしばしば耳にすることである。今、若い医者教育の中で最も欠けているのは、First contactを大事にする総合診療的教育である。総合診療能力は医療の質の中で60%以上占める程重要であるが、それが認識されていない。

 また、患者の容態をしっかり把握して治療方針をたてるのではなく、浅い自分の"知識の箱"に患者を無理に押し込もうとする。そのような若い医者が増えている。一つだけ例をあげる。《頭が割れるように痛い》という患者が深夜11時頃に50kmも離れたところからある病院にかけつけ、診療を受けたという。その時の当直の若い医師は、自分の"知識の箱"を探っても具体的に何をしたらいいかを想い浮かばなかったらしく、何の処置をすることもなくそのまま帰したという。翌朝、前日の当直医のカルテをチェックしていたベテラン医者はビックリして若い医師に問い糺した。《君、看護婦がここに割れるように頭が痛い、と主訴の欄に記入しているのに君は何の処置もせずに帰したのか。場合によっては上級医に相談するとか、入院という手もあったのではないのか? 》と。ところがその若い医師曰く、《しかし、私にはそんなことを一言も言わなかったですよ!》と平然と答えたらしく、ベテラン医者は《こんなことを開いた口が塞がらないというんでしょうね。》と唖然として周囲に語ったという。この種の医師が増えている。

 医者の技術の質と教養・社会的常識高め総合診療的能力の涵養に努めなければ、医者・患者の信頼関係は今以上に崩れ医療不信は増々深まってゆくばかりである。

(2) 医療費の高低差

 医療の質が良くてその費用が安いことに越したことはない。受給者の負担は低ければ低い程良い。しかし、それがすべてではない。負担が一定あれば患者側には、2(4)で述べたように、健康に気をつけ、病気をしないようにしようという意識が出て来るからである。

私は医療費無料化には反対である。患者の一定の負担は必要である。

 又、支払われる診療報酬の中で、大学病院の診療費は段突に高額である。とりわけ、研修医レベルの診療はきちんと教育されていないためにやたらと検査が多い。基礎疾患や合併症のない軽い肺炎に対し、一週間に3回も検査をする。ベテランの医者では多くても週一回しかしない。これによる医療費は相当に差がある。その負担は患者が負い、"税金"で賄われることになる。このような意味でも医療の質や医者の質が問われる。

 貧困が疾病の主要な原因であることは古今東西を通じて今でも真実である。従って、生活に困窮している人、所得の少ない人にはキチンとした医療が受けられる政策は必須である。しかし、この視点が、現在の日本の医療政策には決定的に欠けている。

(3) アクセスの良さ

 これは急病の折、近くに気持ちよく受診できる医療機関があることを意味する。

 アクセスの良し悪しとは、そこで加療不可能な場合には、必ず責任をもって他の医療機関を紹介してくれるという安心感のある医者あるいは医療機関であるかどうかで決定される。

 もちろん、空間的に距離が近いということも極めて重要である。

 10年前私たちは病院より30km離れた町に町の要請により診療所を作った。当初の患者の病態は随分改善され、現在では随分軽症化している。その町の老人医療費は全国平均・大分県平均よりも安い。アクセスの良さは医者-患者関係を改善するばかりでなく医療費さえ安価にする。勿論、その場合医療の質が良ければ医者-患者関係および医療費抑制に相乗的作用が起こる。

 地域医療計画で総病床数を規制しても、患者の生活圏やこの点を保障していない医療政策は机上の空論でしかない。21世紀は、地域完結型医療体制が各地でつくられる方策を必要としている。

(3) 療養環境

 安心してかかれる療養環境はまず、医療の質やその費用及びアクセスが揃って初めて療養環境の良し悪しの第一ハードル(ソフト)を越えられる。しかし、それ以後のハードル(ハード)は、現在の診療報酬体系の下では、日本の病院の療養環境が今以上に改善されることは望み薄である。

 療養環境の良し悪しの中には、施設面のことだけを意味している訳ではない。医師・看護婦をはじめとする"親身さ""優しさ"という精神面のソフトが基盤として用意されているということが、第二ハードル以後の最大の要件である。このあるなしで医者-患者関係を良くもするし悪くもする。

 

4.キーワードの解決のためのシステム

 医療の質と医療費の問題、アクセス、療養環境という医者-患者の関係を良好にするためのキーワードを解決する方策には一体どういうものがあるのであろうか。項目の中で、今緊急に解決されなければならない問題は、医療の質・医者の質をあげることである。医療費問題はかなり政治・社会的な問題であり、ここで論ずるには紙面が限られているし、後二者は現実の医療機関の地域内の位置の問題と経営的な側面があるので、ここで論ずるのは差し控えたい。

 先に述べたように、医療の質をあげ、医者-患者関係を今以上に良好にし、医療不信を払拭するためには、まず医者の臨教育である。医者の素養としてscienceの素養とは別にArtの素養が要求される。現在の医学教育・医者教育には後者の涵養が決定的に不足している。Artの素養を持たない者は医者として不適格である。従って、医学教育・卒後臨床研修そのものに深いメスを入れ、システムそのものを全面的に改編・再編成する必要がある。その第一歩は、卒後2年間の研修医に対し、司法修習生と同じような社会的・経済的保障をし、生活の糧を気にしながら医者としての第一歩の研修をしなくても良い体制を法的に整えることである。又、Artの素養を持った指導医の人件費も国庫より支出すべきである。

 例えば、研修医に月25万円、研修医5人に1人の指導医をつけるとして、その指導医に月50万円支給すると仮定すれば、年間8000人の医者が生まれるのであるから、年間に必要な財源は以下のようになる。

25万円×8000人+50万円×8000人÷5人×12ヶ月=336億円

 不良金融機関の救済に10兆円、いわゆる公共関連事業費として50兆円(国・自治体の会計)を投入していることを考えると、国民の命と健康を守るために年間350億円程度の支出は許されるべき金額である。

 こうして医者の質と医療の質を年々あげてゆけば、医療費の伸び率は政府予測よりもぐっと低くなることは眼に見えている。その上で疾病予防に力を入れれば医療費は更に抑制できる筈である。そうすれば、結果として医者-患者関係は今以上に改善されるであろうし、現在のような不幸な医療不信はかなり払拭できると私は思う。勿論、医療不信=政治不信であることも又事実である。税金を払っている国が国民のいのちと健康を守ることを怠っているからこそ政治不信が惹き起こされていることをも私たちは銘記すべきであろう。

                                (2000. 9.20

 

 

 

 

 

 

 

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